[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
約1年ぶりにブログ復活です。
日本に帰ってきましてチェンバリストとしてがんばっています。
ドイツ語忘れかけているので書いて思い出していこうと思ってます。
さて、ど始発めから
Fest der Clavier
チェンバロ、オルガン、クラヴィコードの3つの鍵盤楽器を二人の 小人 チェンバロ弾き
が演奏します!
日時: 2014年 10月 13日(月・祝)
場所:大津 堅田教会 (ヴォーリズ建築)
入場料:1500円 la tableさんのお菓子付きです
今回忙しくてチラシの行程をおろそかにした・・・・はい。ドイツ語間違ってるね ←アホ
adriaen isenbrandt(1490-1551)
ベルギー王立美術館は15~18世紀までの絵画を集めた古典美術館、マグリットコレクション、近代美術、モダン(少し) あるらしいが、今回は近代美術は見られなかった・・・・マグリットと古典美術を堪能してきました。
ベルリン、ドレスデン、アイルランド、エジンバラ、ロンドン・・・・と、絵画通の友達と回ってきたせいで、つい一人ツッコミしながら見てしまった・・・周りの日本人には変な人、と思われていたに違いない。
絵はこっちにきてから楽しむようになったけど、聖書や神話、古典が解ると楽しい。聖書についてはまだまだ。ギリシャ神話なら♪得意分野である。 構図なんかはよくわからん。染料は土地によって違いがあるんやろう、という知識だけ。修派なんかもわからん。
絵に残すっていうのは、宗教画やったら布教や説法の為に残されたもので、描かれるモチーフが決まっている。
何でよく聖家族でのエジプトへの逃避が描かれるのかはわからない。聖書でもそんなに重要なことを書いている様子はない。だって受胎告知→イエス誕生→皆がお祝いに来る→父さんヨセフがエジプトへ逃げよとのお告げを聞く→逃げる(よく描かれるのはこの部分”エジプトへの非難途上の休息”)→ヘロデ王が死ぬまでエジプトで3年滞在(ここらへんは描かれることは滅多にない)→父さんヨセフがお告げを聞く→ナザレへ
これもいつも思うこと。父さんヨセフはなぜあんなに老けているんだろう。母さんはあんなに美人さんなのに。もちょっと格好よく描いてあげてほしい。そしたらWikipediaにこんな答えが!!
老いた姿で描くのはマリアとの間に性交渉が無かったことを強調するためだと!あまりに格好良すぎるとヨセフ信仰が生まれてしまうかもしれないからだな。かと言ってイエスが格好いいか、と言われると・・・・うーん。今はJ・デップ似と言われている
これでいつもミカエル君が美しく描かれる理由も納得。
ベツレヘムからエジプトへの道程は本当に山あり谷ありか?
というのも私の長年の疑問。特にあの地域のことはわからんわ。イメージで言うと、木もあまりないドラゴンボール世界の荒野ってかんじ。
見よ!この美しいフランドル絵画を! (←あれだけエジプト逃避のこと書いておきながら一枚も写真無かった(爆笑))
jacob jordaens(1593~1678)
ニコデモさんに会うイエス。夜の話しなのに超明るい
そして・・・・ヨーロッパ中の人が大好き、スザンナの入浴!これは描いてても見てても楽しいだろうな
このお話は音楽の方面でも好まれ、フランドル学派のオルランド・ディ・ラッソ(1532~1594)が曲をつけたシャンソンが有名。
- Suzanne un jour d'amour sollicitée
- Par deux vieillards convoitant sa beauté
- Fut en son cœur triste et déconfortée
- Voyant l'effort fait à sa chasteté.
- Elle leur dit : si par déloyauté
- De ce corps mien vous avez jouissance,
- C'est fait de moi ! Si je fais résistance,
- Vous me ferez mourir en déshonneur :
- Mais j'aime mieux périr en innocence
- Que d'offenser par péché le Seigneur.
お次は・・・・ Wikiからの画像なので大きいが・・・

鏡に映った風景や、後ろの窓の隙間から覗く人など、細かい
ブリュッセルの風景です。 昔は城壁に囲まれた街でした。右の写真の赤丸で囲っているのが美術館のあるところ。市庁舎は一番高い塔ですね。この当時はまだ市庁舎の右半分が建てられていない!
食文化も大切。ポーチド・エッグはこの頃から食べられておりました。
海産物を食べてたのはここいらならでは。
ルーベンスもあったけどでかすぎるので上手く撮れなかった
オランダはライデン出身のJan Steen(1626~1679)
Nicolaes Maes(1634~1693)
レンブラントの工房にいたんだと。
生気のある眠り方だな。
そしてそして~♪
わぉ!と叫んでしまった。
大好きなPieter Bruegel !! イカロス君の墜落!!!!!!!
それに叛逆天使の墜落
ああ、見れて幸せ。大迫力だよ。イカロス君が落ちたのに平然と日常が続いている様が、とってもとっても悲しくなるね!むーかーしギリシャーのイカロースーはぁー♪
そして安心のJan Bruegel(Pieter次男)
お兄ちゃんPieter Bruegel(長男)のもいっぱい。
美しい母性に満ちた母と子の彫刻
そしてこの美術館のShopがイケてた!
なんと、ずっと商品化してほしいと思っていたBruegelジグソーパズルが・・・・!!
買ってしまったよ! 個人的に大好きなイカロス君は簡単そうだと思ったので超むずそうな叛逆天使に・・・・! ミカエルさまは形になったけど、下の魔物たちは・・・難しすぎた。でもすっごく面白い。
また日本に帰ってからやるんだ~♪
マグリットのパイプマグネットと木の幹が扉みたいになってる絵、そしてボッシュとブリューゲルの絵葉書。
夜11時の夜行バスまでまだまだ時間があったので、カフェでビール飲んだり、ぶらーっと歩いたり、チョコレートを買ったりして9時ごろにホテルへ荷物を引き取りに。歩いてブリュッセル北駅までリュックを背負いながらおっちらこっちら。
バスの待合室でお喋りしながら・・・ビール飲んでるような人は私だけだったり(ドイツではこれ、普通だよね?)
ベルリンに着くと、久々のドイツ語にちょっと安心したり。
夏の旅行は終わったのであった。
スーパーでまさかのお化けチップス(ドイツ製なのにドイツで見かけず、日本とかにある)を発見。
味は不味い。
Sさん、Mさんと別れて私は昼過ぎにロンドンを発ちました。何処へ向かうかと言うと、ベルギー!
一緒にParisに来ないかい?とも誘われたけれども、パリで散在するより、他の国に行きたかったのでバスを予約。ロンドン→ブリュッセルは最低価格29€で行けるらしい。私は1ヶ月前に購入したので40€弱。この値段で実はベルリンまでNon stop行ってしまえる・・・・orz。でもベルギーには楽しいこといっぱいあるだろう!奮い立たせた。
ヴィクトリア駅のバスターミナルからベルギー、アムステルダム行きのバスに乗り込みます。
チケットはMさんのような心配事(予約番号しかコピーしてなかった。チケットナンバーが必要)もあったにもかかわらず、カウンターですんなりと通してもらえました。
イギリス内で2回のトイレ休憩を挟み、1時間遅れでドーバー海峡フェリー乗り場へ。パスコントロールがある、かも~♪とかいうバスのアナウンスのおっちゃんだったが、無かった!ある時はあるのだろう。
バス、トラック、自家用車が整列して順にフェリーへ。
海原、海風、鴎、と、一人になった寂しさが込み上げてきた。そして、今後の自分の行く末はどうなるんだろう、と看板に立ち、海を見ながら考えた。答えはこの時まだ出せなかった。うだうだ考えるのが嫌なのに、誰にも答えを聞けない(なぞなぞとか答えすぐ見てしまう人)そのもどかしさ。制限時間も決まってないこのだらだら感。ああああああああああああイラっとする!
大型フェリーなのでイニシュモアのときのようにグラングランは揺れない。中にはフードコート、免税店、プチカジノ、両替所がある。空港の中みたいだった。ただ、空港よりは人でが足りていない、店舗の数が限られているので飲食店は長打の列だった。
ここでコーヒーとシードル味のチップス(あまり美味しくなかった)をいただき、1時間半ほどするともう対岸に着いた。
アナウンスに従って自分が乗車してきたゲートの色とナンバーの出口へ急ぐ。一緒に海を渡ってきたバスに乗ったと思ったら数分で発車。乗り遅れの人はいないのだろうか??
ブリュッセル北駅には予定していた7時15分到着ではなく、9時を大きく回っていた(おいおい) トラムでの移動を考えていたが駅は大きいわりに人が少ない!トラムの路線図が見つけられず、若干恐かったので、タクシーを使ってホテルへ。
このタクシーでぼられた。駅から近い(歩けば15分くらい)のと、運転手が若い、どーみても移民というか東の方から来た人っぽい。 これはやばいなーと思ったが・・・荷物は重いし、夜やし、で、ぼられるのを覚悟する。なかなか後続タクシーもこないみたいなので、この金で彼女とコーヒーでも飲んでくれや。と。
でも日本と違い、サービスは皆無。うざったそうに運転する坊(絶対私のほうが年上)もう少しいい顔したらどうだね、君。こんな客乗せずに遠距離の客を乗せたほうが儲かると思った。だから最初に大きい金額を言って諦めさせようとした。でも客は諦めなかった。チッ。ていうのが聞こえるよ。
私なら、”笑顔で~€かかるよ” と言って客を乗せ、大金をせしめるよ!
ホテルは、日本人から見たら無駄を省いたくせにお金とりやがって、なホテル。バスルームのアメニティはあったけど、湯沸かし器、コーヒー、お茶のサービスが無し(自販機がフロントにある)。朝食は+6€(まあまあかな)、ハンガー無し、電気の明りは風呂場、部屋全体、ベッドの3つのみ、街、ホテル案内などのパンフレットも部屋に置いてない、ムダに広く感じるのは急な要望に供えてベッドが直ぐに用意できるようにだろう。壁は私の嫌いな白いぶつぶつのやつ。でも、ベッドが中央にあったから許そう。2日だけだから、と、ドアノブに掃除不要の印を掛けたのに直ぐ落ちてしまうのは改良すべき点。案の定掃除されていた。
こんなにしなければブリュッセルでこのコストは維持できないんだ、と思った反面、これでも需要があるし立地は良いし、荷物預かりなどの管理もしっかりしていた。 裏を返せばどれだけのサービスを日本人は欲しているんだろう?
Wifi と無料でPC使用できたので、ここらへんは流石ヨーロッパの一都市! でもなんでかWifi普及率の低い日本。
はぁ。また長く書いてしまったけど、ベルギーと言えばこの人ですね。ション弁小僧君。世界3大がっかりなんだそうだが、私はこれくだいだろう、と思ってたのでがっかり度は低め。
ベルギーと言えばワッフル。女子高生のときはマンネケンのワッフルを良く食べていました。草津駅はいつもマネケンのかほり~♪
しかし、ここでヨーロッパマジックが私を襲う。
そう。ヨーロッパの菓子は甘いのだ!
甘すぎて食えたものじゃな・・・ゴフゴフ(←Mさんの生霊に腹を殴られた)
四角いワッフルと丸いワッフルを食べ比べてみました(同じ日に食べたわけじゃないよ)
最初に食べたのは四角いほうはふわふわ。かかっているのはキャラメルソース。ソースが激甘で、何か拷問のようでした。でも全部食べたよ。
丸いほうは次の日、美術館の後で。ここでは前日の教訓を生かして、プレーンで!まわりはサクサクっ中もサクっと・・・・あら、ザラメが入っている。プレーンじゃないのかよ(怒)
サクサクお菓子は好きなので、スーパーで売ってた固焼きワッフルは日持ちもするのでお土産に。
オランダで見たような薄いウェハースにキャラメル挟んだやつは見なかったな~~。
もちのロンでビールは楽しみました。Orval と 定番Duvel の他にこれまた定番Leffeと、Trappistes Rochefort、Le Fruit Défendu(禁断の果実)を飲みました。
市庁舎のある広場、グラン・プラス。フランクフルトと似ているな、と個人的に思った。市庁舎とギルド(組合)の建物が広場を囲んでいる。ユネスコ世界遺産。
そして忘れてはいけないコミック・アート。
街のあちらこちらにコミックが描かれています。その数は増え続け、また、治安のあまり良さそうじゃないところにも描かれていたりするので、細心の注意を。
ベルギーでの目的は、楽器博物館と王立美術館!
楽器博物館内は薄暗く、私のおじいちゃんカメラはあまり良い働きをしてくれなかったので、感想だけを。
オーディオを貸してもらえるので、耳にあてながら。展示してある楽器の前に行くと、オーディオから音楽が流れます。誰にも邪魔されず、ゆっくり見ることができる良いアイデアだと思いました。
ヨーロッパ以外の国の楽器の種類も豊富。
カリヨン(バトン式カリヨン) が美しかった。日本でも普及してくれると嬉しいな。
鍵盤は、スペインはトレドで発見されたガイゲンヴェルクが!!不恰好ながらも本当に存在した楽器なんだなぁ~。作る人いたんだな~。残ってるのこれだけだよな~と、見るだけでした。(音無し)
王立美術館は写真が多いので別けます☆
次に訪れたのはイギリスの首都、ロンドン!! 実は2回目
以前のイギリス観光の様子はこちら☆3泊4日を100ポンドでのりきった記憶がアリマス。
イギリス旅行2008年
5年前・・・・・うっそー!!そんな時間たってたんですかい!
時間の移り変わりは恐い
そう言えば、ロンドンの地下鉄内ではスマホ、iパッド的な大きいので本を読んでいる人、多かった。
Free Wifiもけっこう飛んでたみたいです。耳にイヤホンつけてSkypeかなんかで喋ってる人の数は以前より減ってるような・・・・Lineが普及したから・・・・か?
ドイツもスマホ率は多いけど、まだ本は紙で読んでる人が多いわ。
交通機関の切符はもう問答無用でOysterカードを購入。3日乗り放題券などは消滅したっぽい。
日本と違うのは、ヨーロッパらしく市内は区間ごとに一律料金。これは旅行者にはなんて有り難いんだろう。いちいち買ってから乗り換える面倒が無い。
観光客の多さも・・・さすがはロンドン!! ホテルではイタリア、ドイツ、フランス、中国系の旅行客が。
街ではイスラム圏からの方々も。黒チャードルの人も。
そしてインド、パキスタン系移民さんの多さ!!(いや、アイルランドでも見たけどさ)
驚くべき頭の小ささ!何頭身だよー! あの頭にどれほどの知識が詰まってるのやら。
この頭の良さは何なんでしょうね??人口のわりに識字率は多くない。
それでも9億人もの人口から見ればやっぱりてっぺんにいる人たちや頭の賢い人の率も多くなるってものか。
それでは
例の如く美術館&食の詳細はMoiさんブログで!!
http://moicojo.blog59.fc2.com/blog-entry-623.html(テートモダン)
http://moicojo.blog59.fc2.com/blog-entry-625.html(夕飯など)
http://moicojo.blog59.fc2.com/blog-entry-626.html(ロンドンナショナルギャラリー)
http://moicojo.blog59.fc2.com/blog-entry-627.html(昼食)
この後一人でぶらぶらしていたら、いつの間にかイスラム系移民街を歩いていました。
ちょっと恐かったので写真は無し(一人だったから) でも感想を。
別にイスラムの人全てが過激だというのではなかろうが、雰囲気が違うのを感じる。日本のド田舎育ちやから。日本のイスラム街ってどんなかんじかな。関西ではまだまだ見ないけど東京ならきっとそんな所があるでしょう。
対向車が楽に通れるくらいの二車線道路の両脇に個人商店(青果、小電化製品、服屋、床屋、ケバブ屋など)がぎっしり。この通りにバスの路線は通っていない。
スーパーもあった。Aldi式で棚がなかったりと、市内のスーパーとサービスの質が違うのは郊外のスーパーの常識であり、差別ではない。カップ面や冷凍食品が多かったのが印象的。野菜なんかは個人商店で買うからか?
通りを行くのはベビーカーをおす老若女性。ほんの時たま西欧人が歩いている。アジア人はほとんどいない。
商店の男性に話しかけたり、道行く人が知り合いだったりする。日本ではなかなか見ないな~こういう光景。
大切なのかもしれない。異国に行って、母国語で喋れて、文化の変化に戸惑うこともなく生活できる所というのが。移民として出稼ぎにいかなくても日本で生活していけるようになった日本人には無用なんだろうかね、こういう所って。
日本は留学でも仕事探しでも旅行でも一人でなんでもかんでもやってしまえる人が多い。人に迷惑かけることもないし、何かを仲介しなくてもよいので楽なこともある。日本人は異国文化や現地人と上手く馴染んでいける能力もあるけど人ともっと密になるような場が減ってきているように思う。
とかなんか考えていたら下のような大層なことを考えていた。
移民を入れるかどうかをいつか日本は真剣に考えなければいけなくなる。労働力だけ受け入れて使い捨てにするような政策だけは止めてほしい。日本人は仕事を奪われると思うかもしれない。まあ実際そうなるのだが・・・・。
例えば、今人手不足である介護職。ヘルパーとして移民が大量にやってくるとしよう。資格云々は置いておいてただ労働力として見る場合。
ヘルパーの給料は日本人でも安いのに移民だとどれくらい下がるのだろうか・・・・。
お年寄りは介護が受けられていいのかもしれないが・・・。
移民は故郷で職が無い、または故郷で働いても微々たるものなので賃金の高い国で働いて故郷に送金する、という人がほとんど。まあ、稀に日本の文化、人が大好きだから移民として日本へ行って日本人と結婚して日本国籍を持ちたい!故郷が日本にお世話になったから日本にお礼がしたい!というような方もいらっしゃる、でしょう(?)
日本で働いたら、その分税金が日本に支払われる。
給料ー税金、保険料ー生活費 の 残ったお金を故郷に送金するなり。
税金と保険料をしっかり抜き取れば、その分は日本国民ともちろん移民にも分配される(公的サービスを受けれるという意味)
年金制度などは移民出国と受け入れ国とで協定を結び、どちらでも受け取れるようにするべきである。
働く人が増える=日本の人口が増える=税金を納める人が増える=年金制度を支えるにはさらに多くの金が後に必要となる(だって人口増えるということはお年寄りも増えるから)
移民として受け入れるのなら最後まで(定年後、死の間際まで)面倒みるのか、それとも移民に永住権を与えない季節労働者とするのか。
どっちにしろ日本の為に働いてもらって税金払わせて後はポイってなのは奴隷よね。
日本語の習得、マナーやモラルの徹底、など、移民資格の基準を上げるなどすると、今度は移民が増えない。だって日本語は難しい。でもこちらの方法をとって入国、移住してきた人が集まってコミュニティを作り、日本文化や自国の文化の交流をしたり、家族を持ったり、故郷で日本語教えたりすれば・・・・なーんて、そんなに上手くいくわけじゃない。不況やし、生活保護を受けざる得なくなったら本国へ強制送還!など叫ぶ輩もどうにかしないといけない。期間内に次の仕事が見つからなかったら本国強制送還、とか、安易な結婚、子供を産むことで永住権取得を認めない、とか。
そんなこと考えていると移民なんて受け入れないでこのまま人口減りつつも生きながらえる国づくりを目指せないのか、と考えるけど、難しい。そんな国どうしたら生まれるんだー!!
出生児と老人の死亡率が減ったことが近代の問題なのだろうか。そんなのとても悲しいではないか。
だって今まで目指してきたことだろう?赤ちゃん産んでも産んでもいつ命を持っていかれるかわかんないような時代や家族の為こんなところでくたばってられん、と働いて働いて支えてきた人たちの時代を経験したのに、『お前等が国のお荷物なんじゃぁー!養なっていけーん!』なんて・・・・あまりにも、あまりにも
あんまりじゃないかぁー!(ワンピース泣き)
どーーーしたらいいんだよ。誰か教えてくれよ!考えてくれよ!スーパーコンピューター!何時来るかわかんない災害のことなんかシュミレートしてどうすんだよ。
と、まあ私ではどうでもできないことを考えてみることもあります。
http://moicojo.blog59.fc2.com/blog-entry-628.html(テート・ブリテン)
http://moicojo.blog59.fc2.com/blog-entry-629.html(フェルメール)
後はシャーロックホームズ巡りをしたり(地下鉄・ベーカー通り駅より)
パディントン駅でパディントングッズも購入しました
パディントン(ぬいぐるみ)によるロンドン観光ガイド 9.99ポンド
赤電話ボックス缶の紅茶 3.99ポンド
マグネット4.99ポンドにピンバッチ2ポンド(チャリティー商品)
ぬいぐるみはロンドン橋近くのおみやげ物屋さんより安かったけど可愛い子がいませんでした。
ロンドンナショナルギャラリートランプ4,99ポンドは全て絵柄が違ってて嬉しい。
アイルランドを後にした我々はダブリンからエディンバラへ!!
街中で売っていた”I Love Edinburgh” のエコバックは中にチョコも入ってたというナイスなアイディア!
この ”I Love” 商法 ってイカす商品があれば皆買っていくよね。旅行先では必ず”I Love” 商品を買って帰る!という御仁もいらっしゃるでしょう。
うちの祖母は旅行先では“絵馬”を買う人です。
私は何も決まったものは買わない。けれど、決め事があると何か記念になっていいなぁ、と思う。
ご当地キャラにもご当地スイーツにも興味はないので旅してても時々味気なく思える。お土産のレパートリーが無くて。
産地の物を絶対買って帰ろうという気にもならんのです。良い物で無い限り。
誰がパジャマにしかならんお土産Tシャツを欲しがるかね?とか思って・・・・。格好いいのだったらわかるけど・・・・
とか言ってると、“お土産は心だ!” という意見が聞こえてきますな。すんません。
うちの身近にいる人なら・・・・バグパイプを買って帰るだろうな、とも思った。(ビルマの竪琴買って帰るような人だもの)けれど、旅行してるのは私。そしてまだ旅行は続く。そしてポンドは高い。
お土産についてなんて誰も読みたくないのでこれにて終了。
写真は旧市街の一部。これだけでも古い街並が保存されているのがわかりますでしょうか。
Moiさんブログも参考にしてください(またか!)
http://moicojo.blog59.fc2.com/blog-entry-618.html
フェスティバル期間中なのですごい人でした。(旧市街のメイン通りなんかは大変)イギリス各地から鉄道、バス、飛行機が飛んでいるスコットランドの首都!
ライプツィヒより街の黒人さん率が多かったので少しビビッてしまいましたよ。どの人も逞しい方だったから。特に女性は!!個性的で、でも似合ってる髪形、大きい瞳、生える白目部分、表情豊かな太い唇。艶やかな肌、ボン・キュッ(時々ボン)・ボン なボディ!美しい!!
う~ん。私は最近女性ばっかり見てる気がしないでもない。女性を褒めることなら何でもできるんだがなぁ・・・自分に無いものを見ると素敵に映るんだろうな。
ホテルに着いて早々にお目当ての楽器博物館へ。(例の如く詳細はMoiさんブログで)
フェスティバルの催し物の為、調律師さんがメンテナンスで忙しく、また、翌日の月曜日の休刊日だがリハーサルで訪れることができないとのこと。オーディオも無く、弾くこともできなく残念・・・・。かなりの数のピアノフォルテ、チェンバロが保管され、修復され、弾ける状態にあった。
ルッカースの移調鍵盤は見れただけでも御の字だったろうか。
通常、2段鍵盤を持つチェンバロは音色を対照させる為に用いられるが、研究者はルッカースの2段鍵盤チェンバロは上と下の鍵盤の位置が違う作りで移調の為に製作された楽器である。という見方をしている。その後、フランスなどで改造され、現在見ることの多い2段鍵盤の形になった。
移調鍵盤とは・・・上下で鍵盤の位地が違うので、例えば上を現在と同じハ調の鍵盤とすると、下の鍵盤は5度か4度ずれてる。つまり上の鍵盤でドの音の位地は下の鍵盤でファとかソになってる。移調が簡単なのである。演奏する楽器によってピッチも音域も限られたこの時代ならではの楽器だったのだろう。
ペダル付だったであろうチェンバロ、イタリア、フレーミッシュ、フランスも良い状態で。さすがにイギリスで作られた楽器も17世紀後半からでしたがありました。でも音が聞けないのは本当に残念。
でも本当にヴァージナリストの時代(バードとかの時代)はどのような楽器を弾いていたんだろ~
やっぱ輸入に頼ってましたか!?
事前に博物館に連絡を取ればガイド付き、または試し弾きの許可が下りるらしい。休刊日でも開けてくれることがある。
http://moicojo.blog59.fc2.com/blog-entry-619.html(ラッセル・コレクション)
天気は曇ったり雨降ったりThe England な天気だったが、山登りを決行したり。
もう少し晴れていたら海が綺麗だったろうな、と思った。
ここらへんの珍冒険はまたまたMoiさんのブログで☆
http://moicojo.blog59.fc2.com/blog-entry-620.html(エディンバラ美術館)
広くて見やすく、また、障害者向けの設備も整っている。
ボッティチェリとドガがあったので満足
http://moicojo.blog59.fc2.com/blog-entry-621.html(山登り)
http://moicojo.blog59.fc2.com/blog-entry-622.html(下山)
まさかMoiさんが山登りに目覚めるとは!!これはノミがテントしょって富士登山するみたいにびっくりすることなんです。まさかあのインドア派の彼女が!!
過去のページ << |