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5月31日にGanmoの父方のおじいちゃんが亡くなりました。残された数々の伝説(?)は一族の中で語り継がれることでしょう。
その頃私は学校で練習してた。おじいちゃんが息を引き取ったとされる時刻に偶々時計を見て、そろそろ家へ帰ろうかなぁ。と考えただけやった。虫の知らせとやらを信じていたけど、本当にあるものなんでしょうかね。私がこの世を去る時にはどんなに離れていようが知人の皆様には何か伝えてさしあげましょう。お楽しみに。
私が知っているおじいちゃんのことと、おじいちゃんが知っていてくれた私のことを天秤にかければ、おじいちゃんが覚えていてくれてた”孫の私”の量の方が少ない。小学2年の時に大戦時の話を聞きにいったのが、私を孫としてみてくれた最後やったかもしれん。孫の中で一番末やってこともあるから記憶にあまり残らなかったのもしょうがなかったと思う。どっか記憶の底に、小さい女の子がいたわぁ、ってなことは覚えていてくれてたのか、今となっては解らんけど。
孫として記憶にはあんま残らんかったかもしれんけど、おじいちゃんと私の共通する言葉かてあった。おじいちゃんが校長として勤務していた高校に通ってたし、ドイツに留学してるって言ったらおじいちゃんも昔旅行したことあった、とか。Ganmo=ドイツの人、といつの間にかなっていたり。高校時代に、電車の中で、おじいちゃんを知ってる人に会ったり。
生きている間に覚えられることは、自分の興味あることだけ。それが飽和の量より増えたなら(みゆきさんの詩ぱくってます)覚えられなくなるのだろうけど、私とおじいちゃんみたいに、そんなに話し合ったことも無い人同士、記憶に残るこる思い出もあるから人生っておもしろい。
私が知ってるおじいちゃんは、戦争を経験してて、草むしりをしていて、自転車に乗っていて、蝶ネクタイをしている。父が知っているおじいちゃんは滅多に怒らなかったけど怒ると恐い人。おばあちゃんなら出会ってから今日までいろんな面を知っているんだろう。電車の中で出逢ったあの人は、教師時代のおじいちゃんを知っていた。
おじいちゃんは思い出せなくても、私はおじいちゃんの孫です。おじいちゃんのこと覚えてます。
ドイツからおじいちゃんの冥福を祈ってます
08年5月31日
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